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せなけいこの娘も絵本作家で息子は言語学者!個性強めな夫とは相思相愛!

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『めがねうさぎ』『おばけのてんぷら』など子供だけでなく幅広い世代に愛される絵本作家のせなけいこさん。

せなけいこさんには二人のお子さんがいるそうで、お二人とも文学に長けた持ち主のようです。

今回は絵本作家せなけいこさんの家族についてまとめてみました。

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目次

せなけいこの家族構成

早速、せなけいこさんの家族構成を見ていきましょう。

せなけいこさんは夫・長男・長女の4人家族のようです。

せなけいこのプロフィール

ペンネーム:せなけいこ(瀬名恵子)

本名:黒田恵子

生年月日:1932年12月3日

出身地:東京都

職業:絵本作家

好きなこと:オペラ鑑賞

37歳の時に絵本作家としてデビューし、「おばけのてんぷら」など多くの絵本が現在も親しまれています。

150㎝もなく小柄だったせなけいこさんですが、二人の子供に恵まれながら、産後すぐも絵本を書いていたそうです。

とにかく丈夫で元気な母は、母乳をバンバン出しながら仕事をガシガシやっていた。だから早く子どもを保育園に預けたかったのだが、当時もまあ今現在の状況とまったく変わりはなく、なかなか入れない。

実家が音楽一家で、ピアノの練習がスパルタだったため、ピアノが嫌いになったそうです。

「絵を描くのを教えられていたら、絵本作家にはならずピアノの先生になっていた」と

自由な教育がいかに大切なのかを悟ったせなけいこさんは

子どもの勉強に関してはあまり口うるさく言うタイプではなかったようです。

絵本がシリーズ化していた時は育児に仕事にとかなり多忙

口癖は「仕事をする時間がない」だったそうです。

夫:落語家の6代目柳亭燕路

六代目 柳亭 燕路(りゅうてい えんじ)

本名:黒田建之助

生年月日:1934年10月20日(1991年2月10日死去)

出身地:東京都

職業:落語家

せなけいこさんの夫は落語家の六代目 柳亭 燕路です。

馴れ初めはせなけいこさんの絵描きの先輩が寄席好きで、たまたま夫となる黒田氏の知り合いだったとのこと。

出会った二人の共通の趣味が「本」で、古書店巡りをするようになり、意気投合したのが

とんとん拍子で結婚となったようです。

娘の薫さんいわくせっかちで短期でキレやすく、怒りんぼうだったとのこと。

ですが、誰とでもすぐに仲良くなれるし、家事や育児にも積極的だったようで、

せなけいこさんが忙しい時には、子供たちの保育園のお迎えや、料理、寝る前の読み聞かせなどしていたそうです。

絵本を毎年何冊も出版するせなけいこさんの忙しさと比例するように、黒田氏はお酒の量が増えていったようです。

享年56歳という若さでこの世を去ってしまい、

せなけいこさんは30年以上「生涯の伴侶」がいない生活だったのですね。

黒田氏は朝に弱いせなけいこさんに新聞と一輪の花を持って、

起こしに来てくれる優しくチャーミングな一面があったそうです。

素敵ですね。

長男:黒田龍之助

氏名:黒田龍之助

生年月日:1964年9月18日

出身地:東京都

職業:言語学者

せなけいこさんはお子さんが2人います。

長男である龍之助さんは東欧を題材にしたアニメが好きだった母親の影響を受けて、

東欧言語に興味を持ち、NHKではロシア語の講師としても活躍していました。

上智大学外国語学部ロシア語科を卒業し、現在は神田外語大学で言語教育研究所特任教授や

神戸市外国語大学客員教授として活躍しながら、執筆や講演を中心に活動しています。

龍之助さんは小さな頃から器用で賢い子どもで、

当時3~4歳で妹の布おむつを替えることができていたという逸話もあります。

穏やかで妹とのけんかをうまく避け、人付き合いの上手い策士だったそうです。

生徒会で副委員長だった兄は、そこで生徒会長や先生のみならず、不良達をもうまく操っていたらしい。妹証言

しっかり者のようですが、母親であるせなけいこさんに似て

忘れ物の多いおっちょこちょいな一面ももった人だったようです。

兄の小学校の連絡帳。中を見るとノートには毎日のように忘れ物をしていた兄に、先生が「気を付けましょう」と書いていた。そして、ここからが問題なのだが、「息子から渡されたプリントをなくしてしまいましたので、もう一度ください。母」とも。

長女:黒田薫

ペンネーム:黒田薫

本名:栗林薫

生年月日:1967年8月

出身地:東京都

職業:絵本作家

幼少期はかなりのわがままであったそうですが、

これは父親が中央大学の落研の学生さん達が薫さんをメチャクチャに可愛がった結果のようです。

性格は父親に似て気性は荒いと本人が分析しています。

忘れ物はめったにしないタイプ。気になったことは聞かずにはいられないという探求心の塊の持ち主で

学生時代は「黒田は質問するな」と先生に抑止されていたほどなのだとか

20代前半は絵本専門店で働いていたが、父親が23歳の時に他界し、

当時両親が暮らしていた逗子市で母親と二人暮らしをするようになり、

通勤が大変だったため絵本専門店を退職後は逗子市立図書館に勤める

その頃はまだ絵本作家になるつもりはなかったようですが、

小さいころから作文では賞を多く取っており、書くことが好きだったようです。

母親と一緒に作った絵本がきっかけで、絵の勉強を始めるために図書館を辞め

絵本や紙芝居を世に送り出していくようになります。

兄とは仲が良く、大人になっても紅茶だけで朝の5時まで話せる仲なんだそう。

現在は結婚し、3人の子供の母親のようです。

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まとめ

いかがでしたか?

絵本作家のせなけいこさんには落語家の夫と、言語学者の長男、同じく絵本作家の長女という

4人家族であったことがわかりました。

最後までお読みくださりありがとうございました。

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