日本維新の会で東京15区支部長を務める、金澤ゆい氏。
とってもきれいで女優さんのようなお見た目ですが、
「リケジョ」という頭脳明晰さも持ち合わせているとのことで
金澤氏の学歴や経歴が気になったのでまとめてみました。
金澤ゆいプロフィール
名前:金澤結衣(かなざわ ゆい)
生年月日:1990年10月23日
出身地:神奈川県相模原市
学歴:2013年3月上智大学 物質生命理工学科 卒業
職歴:2013年4月江崎グリコ株式会社でマーケティングに従事
政党:日本維新の会 東京15区支部長
趣味:クラシックバレエ、ストリートダンス、読書、音楽、アニメ、漫画、ゲーム、神社仏閣巡り、アート、スイーツ、美容、ファッション、生物化学
金澤ゆいの学歴
金澤氏はリケジョ(理系大学出身)ということもあり、頭脳明晰であることがわかります。
どんな学生時代だったのでしょうか?
さらに深堀りしてみましょう!
小学校時代
金澤氏は高校以前の情報を公開していないことから、出身校の詳細は分かりませんでした。
出身が神奈川県相模原市ということなので、自宅の学区である市立小学校だったのではないでしょうか?
小学生時代は合唱コンクールで指揮者をしたり、
リーダーをやっていることが多かったそう。
家では読書をしたり、友達と外で遊んだりと一般的な小学生だったようです。
スポーツは苦手だった金澤氏ですが
3歳から習っていたクラシックバレエは好きだったそうです。
中学校時代
小学校同様に出身中学の詳細は分かりませんでしたが、
市立中学だったのではないでしょうか?
小学生の時にリーダー的な役割をすることが多かった金澤氏ですが
中学では副生徒会長をされています。
副生徒会長の仕事は中堅社員のような役回りでした!
副生徒会長は生徒会長のサポート的な役割もあり、
先生との橋渡し的な役割があったりと多くの人とコミュニケーションをとる機会があり、
やりがいがあったようです。
高校生時代
金澤氏の出身高校は神奈川県立麻溝台高等学校と言われています。
神奈川県立麻溝台高等学校
〒252-0329 相模原市南区北里2-11-1
設置学科:普通科
偏差値:58
高校では体育会副団長をされていたそうです。
高校時代もリーダー的存在だったのですね!
高校生活では人生の岐路となる出来事もありました。
3歳から続けていたクラシックバレエですが、プロとして食べていくためには
遅くとも高校までにはバレエ留学をすることが望ましいのですが
金澤氏は日本で高校生活を送ることを選びました。
プロバレリーナの道はなくなりましたが、
クラシックバレエやストリートダンスに毎日夢中になり、
有志でバンド活動をしたり、
興味があること好きなことを日本で思いっきりやっていたようです。
とても充実してた高校時代だったようですね!
大学時代
金澤氏は上智大学 理工学部 物質生命理工学科を卒業されています。
物質生命理工学科の偏差値は57.5~60と高く、女子学生の比率も多い学科のようです。
金澤氏は中高生時代から理系分野が好きで特にミトコンドリアが好きで、
上智大学の物質生命理工学科に行きたくて受験をしたと話しています。
生物の起源や細胞に魅了され、脳の神経の研究に没頭していたようです。
また、「G-splash」というダンスサークルで、ブレイクダンスをされていました。
当時は腹筋も割れて、マッチョな体型だったようです。
金澤ゆいの経歴
上智大学 理工学部 物質生命理工学科を卒業後
江崎グリコ株式会社に入社されます。
ミトコンドリアや細胞の研究に没頭していた金澤氏が一般企業に入社されたのはなぜでしょう
江崎グリコ時代
上智大学で脳の細胞について研究に明け暮れていた金澤氏は
大学時代に研究を思う存分し、研究職へは進まず一般企業に就職することを選択しました。
ずーっと研究はおなか一杯
そもそも金澤氏は起業するのが夢で、将来会社を立ち上げたいと思っていたそうです。
手に職が欲しい!
そこで企業では「戦略や開発、企画(クリエイティブ系)」に挑戦してみたかったようです。
ご縁のあった企業の中で江崎グリコ株式会社は「マーケティング」で就職活動が選考されており、
研究の過程で得た知識を役立てつつ、理系卒にしかできない
味作りの分野でも強みになるのではということで
江崎グリコ株式会社に就職されました。
江崎グリコ株式会社では
キャラクターコラボのマーケティングや、ポッキーのマーケティングに従事され
商品戦略からコンセプト、デザイン、味作り、プロモーションを担っていたそうです。
娘の大好きなディズニーのポップキャンも作られていたんだ!
ポップキャン「ひみつの味」作ったのが懐かしいです。
塾に行ったりして、子供からヒアリングしていましたね。
社会人になってからも年間で100冊は読むほど
大好きな読書もよくしており、自己啓発本を読み漁っていたそうです。
起業を検討するようになる
2019年に江崎グリコ株式会社の本社である大阪から東京へ異動し
江崎グリコで働きながら起業を本格的に検討するようになります。
きっかけはいくつかあったようですが
働く中でふと疑問に思う場面に出会います。子供を産んで、キャリアを諦めてパートで戻ってきた女性。仕事もできるし実績もあるのに、正社員にはなれず、正当な報酬をもらえていない。その反面、年功序列で昇格し給与だけが良く、仕事を頑張らない人もいる。
職場の優秀な女性が産休育休明けに復帰して
育児とキャリアの狭間で満身創痍になっている状態を目の当たりにして
女性が副業で生計を成り立たせられたり、
子供を産んでキャリアをあきらめた女性のブランディングをすることを模索するようになったのです。
この時点で金澤氏は女性の働き方に疑問や違和感を感じ自分が変えたいと考え始めたのではないでしょうか。
政治という選択
女性のキャリア支援に関してのビジネスを考えていたところ
自分ひとりでやっても女性の雇用の問題って解決しないのでは?と思うようになった金澤氏。
そして
日本全体で変えるならどんな方法があるのだろうと考えたときに
「政治」という選択肢があるなと感じたそうです。
それまで政治家なんて期待しても無駄だと金澤氏は感じていたそうですが、
2013年~2019年に維新の改革を大阪でサラリーマン時代に経験し、
大阪の街がどんどん綺麗になって、居心地がよくなるのを肌で感じたときは
まだまだ政治家も捨てたもんじゃないなと思ったそうです。
汚くて使いたくなかった地下鉄のトイレが綺麗に。
駅の売店、よく分からないショボい売店だったのですが(天下り先だったらしい・・・)、コンビニが入りました。
他にも、大阪城公園が観光地として見どころが増えたり・・・
自然な流れで政治塾へ
東京でサラリーマンをしながら女性のキャリアを支援することを考えたり、
政治という道を模索しているときに
東京維新塾の一期生の募集を目にします。
そして自然な流れで政治塾へ通うことになりました。
政治活動開始
2019年のクリスマス。
日本維新の会宛に、支部長の公募へ応募する書類を提出し
年明け2020年に東京15区支部長の公認を得て、政治活動をスタートさせました。
最初はポール1本持って駅に立つところから始め、
事務局の設置や広報活動・事務作業など政治活動のためにできることは
全力で向き合ってきた金澤氏。
1〜2時頃に就寝し、また次の日は5時半に起きるという毎日だったそうです。
後ろ盾もない中でがむしゃらに活動され、年間でスニーカーは何足もボロボロになったそうです。
選挙結果
2021年10月初めての衆議院選挙44,882票、1.9%足りず惜敗。
44,882票をいただきながらも、最後の最後で私の力が足りませんでした。
あと1,000票ちょっとを積み上げることができれば当選でした。
有権者の約10人に1人が投票してくれた、こんなにもご支援いただいたのに、
それに応えられない悔しさは言葉では言い表せないものです。
今でも、悔し涙が出てきそうなくらいです。
現在衆議院東京都第15選挙区(江東区)支部長として、再び公認を得て政治活動を続けています。
2024年4月28日投票 衆議院補欠選挙東京15区では落選となりました。
まとめ
座右の銘は「不易流行」(ふえきりゅうこう)という金澤氏。
今までの伝統は残しつつ今の時代に合わせるのも大事にしていこう
何もかもを変えることがいつまでも今の時代に合わないものを続けるのもよくない
政治活動は思うような結果を出せていないようです。
誠実に日本の未来を創ることに向き合っている金澤氏の活動に実りが今後もありますように。
子を持つワーママとしては、ぜひ金澤氏の活躍を応援していきたいと思いました。
最後までお読みくださりありがとうございます。